習慣を整えれば、人生が整う。
こんにちは。
元料理人、元電気工事士のシバゲンです。
今日は少しだけ、昔の話をさせてください。
僕には、今でも後悔していることがあります。
大切な人に、最後まで「ありがとう」を伝えられなかったことです。
その人と最後に交わした言葉は、
今思えば、本当に些細なものでした。
「あの時、もう少し違う言葉をかけていたら」
今でもそう思うことがあります。
今回は、僕が「ありがとう」を伝えることの大切さに気づいた、ある日の話を書きます。
大人になると言えなくなる「ありがとう」
子どもの頃は、「ありがとう」と自然に言えていた気がします。
でも大人になると、
「照れくさい」
「また今度でいい」
「わざわざ言わなくても伝わっている」
そんなふうに、つい後回しにしてしまうことがあります。
家族や友達、恋人、職場の人。
本当は感謝しているのに、言葉にするのが少し恥ずかしい。
僕も、昔はそうでした。
心の中では「ありがとう」と思っていても、わざわざ言葉にすることは少なかったんです。
でも、ある出来事をきっかけに、
「思っているだけでは、伝わらないこともあるんだ」
と気づきました。
それは、今から10年以上前のことです。
叔母さんとの最後の会話
僕には、小さい頃から大好きだった叔母さんがいました。
母の姉で、僕にとっては母親のような存在でした。
子どもの頃は、両親と一緒に叔母さんの家へ遊びに行くのが大好きでした。
一緒に買い物へ行ったり、ご飯を食べたり。
帰る時間になると、寂しくて泣きながら車の中から手を振っていたことを、今でも覚えています。
母が入院していた時期には、毎日のように僕と妹の面倒を見てくれました。
それくらい、僕にとって大切な人でした。
そんな叔母さんと最後に会った日のことです。
帰る時、叔母さんが「お土産を持っていって」と、スーパーで買ってきた食べ物を渡そうとしてくれました。
僕は最初、
「いいよ、いいよ。大丈夫」
と断っていました。
でも、叔母さんはどうしても持っていってほしかったみたいで、何度も渡そうとしてくれました。
その時の僕は、なぜか少しイライラしてしまって。
お土産を見ながら、
「僕これ嫌いだから、本当にいらない」
と言ってしまいました。
本当は、そこまで嫌いなものでもありませんでした。
今思えば、本当に些細なことです。
それなのに、その時の感情のまま言葉を投げてしまったんです。
そして、
「僕、それいらないから。もう行くね」
そう言って、その場を離れました。
それが、叔母さんとの最後の会話になりました。
本当は、いつもありがとうと思っていた。
最後くらい、笑って話したかった。
最後に、叔母さんの笑顔を見たかった。
でも、それは叶いませんでした。
その日はいつものように、
「また今度会えばいい」
そう思っていたんです。
次に会った時に謝ればいい。
その時に「ありがとう」と伝えればいい。
そう思っていました。
でも、その「また今度」は来ませんでした。
お盆が終わって2日後。
夜中の1時頃、少し生暖かい風が吹いていました。
僕がベッドで眠ろうとしていると、電話が鳴りました。
実家に住んでいたので、夜中ということもあり、誰も電話には出ませんでした。
でも、すぐにもう一度電話が鳴りました。
何か嫌な予感がして、僕が電話に出ると、親戚からでした。
「今すぐお母さんに代わって」
その言葉を聞いた瞬間、胸がざわつきました。
そして、その嫌な予感は当たっていました。
叔母さんが亡くなったという知らせでした。
その後、母から詳しい話を聞き、僕は部屋に戻りました。
ベッドに倒れ込んで、涙が止まりませんでした。
「なんで、あんなこと言っちゃったんだろう」
「なんですぐに謝らなかったんだろう」
「ありがとうって、伝えればよかった」
何度もそう思いました。
その後、泣き疲れて眠りについたのですが、
その時、一瞬だけ叔母さんの匂いがしたことを、今でも覚えています。
あの日から10年以上経った今でも、
あの時の言葉を思い出すことがあります。
あの日から変えた、小さな習慣
あの日から、僕の中で少しずつ変わったことがあります。
それは、「ありがとう」と思う回数が増えたことです。
ご飯を作ってもらった時。
何かを手伝ってもらった時。
ちょっとした気遣いをしてもらった時。
昔の僕なら、当たり前だと思っていたことにも、
「ありがとう」
と思えるようになりました。
そして、できるだけ言葉にするようになりました。
でも、変わったのは「ありがとう」と口にすることだけではありません。
その前に、心の中で「ありがとう」と思えるようになったことが大きかったんです。
昔の僕は、
「やろうと思ってたのに」
「なんで勝手にやったの?」
そんな言葉を、つい口にしてしまうこともありました。
今思えば、相手がしてくれたことより、自分の思い通りにならなかったことに目を向けていたんだと思います。
でも今は、
「やってくれてありがとう」
「気にかけてくれてありがとう」
そう思えることが、少しずつ増えてきました。
叔母さんに伝えられなかった「ありがとう」。
その後悔があったからこそ、僕は今、目の前にある小さな「ありがとう」を大切にしたいと思っています。
「当たり前」は、当たり前じゃない
叔母さんとの出来事があってから、僕は「当たり前」という言葉を少し違って考えるようになりました。
叔母さんと一緒に買い物へ行ったこと。
一緒にご飯を食べたこと。
帰る時に、車の中から手を振ったこと。
今思えば、どれも当たり前の時間ではありませんでした。
当たり前じゃないからな。
昔の自分に、そう伝えてあげたいです。
大切な人がそばにいてくれることも。
一緒に過ごせる時間があることも。
当たり前ではない。
そう気づいてから、僕は目の前にある時間を、少しだけ大切にできるようになりました。
人生で初めて、母を桜に誘った
叔母さんとの出来事から10年以上が経ちました。
その間に、周りの友達の親御さんが亡くなることも少しずつ増えてきました。
昔は、友達のお父さんやお母さんが亡くなるなんて、考えたこともありませんでした。
でも、少しずつそういう話を聞くようになって、
「自分の親だって、いつまでも元気とは限らない」
そう思うようになりました。
今、僕の両親は元気です。
でも、いつ体調を崩すかなんて分かりません。
いつでも会える。
いつでも話せる。
いつでも一緒に出かけられる。
そんな「いつでも」は、きっと永遠には続きません。
だから、
「もう、あんな後悔はしたくない」
ずっとそう思っていました。
そして今年の春、人生で初めて母を桜に誘いました。
正直、母と二人で出かけるのは、まだ少し恥ずかしかったです。
でも、
恥ずかしいのは一時的。
後悔は一生残る。
そう思ったら、そんなことはどうでもよくなりました。
「行ける時に、行こう。」
そう思えたんです。
昔は、僕の家族4人と叔母さんの5人で、よく一緒に出かけていました。
桜を見に行ったこともあります。
今でも桜を見ると、その頃の光景が浮かびます。
5人みんなが笑っているんです。
あの頃は、それがずっと続くような気がしていました。
でも、永遠なんてない。
いつか5人の中から、一人ずついなくなっていく。
そう思うと、少し寂しくなります。
だからこそ、今一緒にいられる時間を大切にしたい。
母と桜を見に行ったあの日も、
「誘ってよかった」
そう思いました。
まとめ
もし今、伝えたい人がいるなら。
少し恥ずかしくても、
言葉にしてみてもいいのかなと思います。
僕は、叔母さんに「ありがとう」を伝えられませんでした。
「また今度でいい」
そう思っていたら、その「また今度」は来ませんでした。
だから今は、
「いつでも会える」
「いつでも話せる」
「また今度でいい」
そう思った時ほど、少しだけ立ち止まるようにしています。
今年、母を桜に誘ったのも、
「もう、あんな後悔はしたくない」
そう思ったからです。
恥ずかしいのは一時的。
後悔は、一生残ることがあります。
だから、
行ける時に、行こう。
伝えられる時に、伝えよう。
僕はそう思っています。
叔母さんに伝えられなかった「ありがとう」。
その言葉は、今でも僕の中に残っています。
でも、その後悔があったからこそ、今の僕は目の前にある「ありがとう」を大切にできるようになりました。
もし今日、頭に浮かんだ人がいるなら。
少し恥ずかしくても、「ありがとう」と伝えてみてください。
「また今度」ではなく、伝えられる今日に。
焦らなくて大丈夫です。
自分のペースで、少しずつ思考変換していけたら十分です。
この話が、あなたの何かの気づきや、
少し立ち止まるきっかけになれたら嬉しいです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました😌
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